
Yuki(ゆき)
レムリアプロジェクトの地上リーダー
1971年、静岡県伊豆生まれ
高校まで富士山の麓で、毎日富士山を見ながら育つ
幼少期のころから
意識のこと、エネルギーのこと、宇宙のこと、宇宙人のこと、人間のこと、世界の成り立ちのこと、見えないものたちのこと、体のことなど
そんなことばかりひたすら考え続けているこどもだった
結婚を機に2002年にハワイに移住
2013年にパートナーと別れ、マウイのツアーガイドをはじめる
ガイドの仕事をしながら、自然のなかで遊び続けている間に
スピリチュアルな能力(チャネリング)がだんだん開花してくるようになる
2018年に、自分がマウイに来た意味や
レムリアとの深いつながりを知り、レムリア関連の活動を開始する
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1971年 静岡県伊豆生まれ
父(歯科医師)、母(ほぼ専業主婦)、1つ上の兄と私の4人家族で
幼少のころから裕福な暮らしをさせてもらう
自分の名前がついたモーターボートは
最後が”ゆきV世”という名だったのを覚えている
生活には困らなかったものの
性格の全く違う両親の不和は果てしなく続き
私が高校1年のときに離婚
その後、父、兄と3人で暮らすことになり
高校3年のとき、父が再婚
このころから人生1回目の暗黒期が始まる
継母と父の間で、実家でのびのび暮らすことが不可能になり
学校の寄宿舎へ入る
このころ、学校の長期休暇に海外へ1人旅にでるというスタイルが確立する
ちなみに、初めての1人旅は高校1年のときで
オーストラリアのタスマニア島をバックパックで旅行した
それ以来、大学卒業まで
単独海外バックパック旅行が続く
高校卒業後に進んだ大学は、聖心女子大学文学部
小学校教員免許取得するも、大学卒業後すぐに教職に就くことに違和感があり
成り行きで、テレビドラマ、映画制作の業界で8年間働くことになる
作品がプロの手によって生み出されてゆく過程を
生で見られるという快感は私を夢中にさせたが
8年もするとだんだん飽きてきてしまい
30歳のとき、テレビ業界での仕事を退職
人生を再検討しようというタイミングで
父からハワイ旅行をすすめられる
当時ハワイには全く興味なかったが、なぜかその時だけは心が動き
一生に一回だけ、最初で最後のつもりで
1ヶ月間のハワイ旅行に行くことに
オアフ、ハワイ島、マウイ島をめぐり
あと3日で帰国というタイミングで運命の出会いが
島に住む日本生まれ日本育ちの
アメリカ人男性と恋に落ちるアクシデント発生
日本を飛び出すようにして結婚し
学生ビザから永住権を取得
2002年にハワイに移住
そこから、夫の仕事、日本人向けの旅行業とハワイ雑貨の通販の仕事を手伝う毎日が始まるが
夫の浮気が主な原因で、2013年に10年の結婚生活が終わる
離婚のときに、日本へ完全帰国の選択もあったが
3秒考えて出てきた答えは
「帰るもんか!この島で生き抜いてやる!」だった
車の運転と自然の中で遊ぶことが大好きだったので
それをそのまま仕事にしよう!とツアーガイドを始める
ガイドの仕事をしながら、自然のなかで遊び続けている間に
自然の存在たちと意思疎通できるようになったり
車内でお客さんたちのお話しをきく過程で
いわゆる「チャネリング」がはじまったり
見えないものたちが、お客様をお連れする場所を教えてくれるようになったりと
自然とスピリチュアルな能力が開花していくようになる
そんななか、あるとき受けたセッションで、自分がマウイにいる意味や
「レムリア」との深い関係について伝えられ(そのころはレムリアなんて全く知らなかった)
「ああ、やっぱりね」と腑に落ちる
その辺りから、実はずっとずっと宇宙船が私を見守っていたこと
写真に宇宙船がずっとずっと映り込んでいたことがわかり
この全てのプロセスは壮大な計画のもと、進んでいるのだと意識が深まり高まってゆく
レムリアリトリートを毎月開催するようになり
日本全国からさまざまなお客さまが参加してくれるようになる
その生活が楽しくて仕方がなかったが
コロナの影響で、島に人が上陸できなくなる事態が発生し、人生2回目の暗黒期がはじまる
島に人が来れないならば「私にできることはなにもない…」
とどん底におち
辛すぎて、お金もなさすぎて、毎晩寝る時に
「明日の朝は目が覚めませんように」
と真剣に祈りながら寝ていたことが何度もあった
不幸中の幸いは
この時期から、自分の内側をとことん見つめてゆく作業がはじまっていったこと
泣く、寝る、食べる、犬の散歩する、海にいく、川に行く、滝で泳ぐ、瞑想する
毎日そのどれかを、ただただ繰り返しながら
自分と繋がるということに
徹底的に意識を向けるようになっていった
自分の闇をみにいったのもこのころのこと
(詳しくはブログ参照)
変化は各方面でも起こってゆき
意識の変化と同時に体の変化も体験することになった
あるとき、突然、食べ物が食べられなくなる
という体験を通して
人はものを食べなくても死なない
ということをカラダをもって知る
そして
今まで教わってきたことの大半は
「真実ではない」
という感覚がどんどん深まってゆく
そのころから
オンラインで仲間と繋がることで
なにかできることがあるのではないか
という感覚が育ってゆき
ズームでの個人セッションを開始
その後、さまざまなプログラムや講座を行い
2021年、自然発生的にエンタメ覚醒メソッド「瞑想ジャーニー」が生まれる
2023年6月「次は日本へ」というインスピレーションを受け取り
同年11月20日に日本へ一旦帰国
「マウイを完全に引き上げてこれからは日本に住むんだな」
と思っていたが、今後は
「マウイに戻れ。マウイこそが私の拠点」
というメッセージを受け取ってしまい
2025年6月末にはマウイに再移住の予定
現在は、高次元フィールドを生み出す瞑想ジャーニーを軸に活動中
個人セッション、リトリート、覚醒プログラムなどを主催

マヤちゃん
愛娘犬・相棒